ホームページのリニューアルに伴い、 3代目女房のブログが新しくなりました。
こちらのブログは2022年までの「リフォームママのブログ」となっております。
こんにちは^^
福井県あわら市のリフォームママこと、西島由紀恵です。
越前町のお客さんから、水仙の花をいただきました。
橋本さま、ありがとうございます♬
今までにもブログでなんべんも言ってる気がするけど、
西島は花の中で、水仙がいちばん好きなんです。
なぜかというとね、
きっと張り倒されるやろなぁ(笑)
西島を花に例えると、水仙だと思うからです。(爆笑)
地味で、華もなくて。
日本海の寒風ふきすさぶ越前海岸(世間の荒波にもまれても)に、
凛とまっすぐに立っているんです。
はかなげだけど、じょうぶ。
そこはかとなく、いい香りがします。
似てるわー!
どんだけ、自分を美化しとんじゃー?!
って声が聞こえてきそうなので、このへんでやめときます^^
さて、今週末は今年最後の「ちっちゃなてづくり工房」があります。
今回は“杉&桧のバターナイフ”を作ります。
クリスマスが近いということもあり、
とにかく、わたし自身が楽しみたいと思ってます!
参加される方々、どうぞお気をつけていらしてくださいね♪
時間を気にせず、作っていただいて構いませんので。
ところで、今月のNLに紹介しようと思っている記事があります。
人間はないものねだりなんですよね。
隣の芝生は青く見えるものなんです。
でも、「そんなこと思わなくていいんだよ」
というエールを送りたくて、ご紹介させていただきますね。
長いので、興味のない方はスルーしちゃってください。
―「うらやましがらないで」(精神科医 香山リカ著)―
精神科の診察室にいると、当然のことながら「人間」についていろいろ考えさせられる。
あるとき実際に経験したできごとを、ちょっと物語風に書いてみることにしよう。
最初にやって来たのは、四十歳の女性。独身のまま仕事を続けてきたが、ひどい風邪で寝込んでいるときに「私の人生、これでよかったのか」という思いがわいてきて、それから胸のドキドキが止まらなくなったという。同級生の多くは結婚、出産を経験しているが、自分だけがシングルでいるのがたまらなくみじめに感じられ、すっかり自信がなくなってしまったという。彼女は軽いながらもうつ状態と考えられたので、少量の投薬を行うことにした。
次にやって来たのも、四十歳の女性であった。先ほどの人とは反対に、二十代で結婚して専業主婦となり、二人の子どもを育てている。下の子が中学生になりほっとひと息ついたのはよいが、同時に「私自身は何もしていない」という不安に襲われた。
「友だちの多くは何らかの仕事をして社会貢献しているのに、私は世間知らずのままで。
同窓会で海外出張の話ができる友だちがうらやましい」とうなだれるこの人もまた、うつ状態と思われた。
そして、三人目は「仕事をしながら子育てもしている」という四十歳の女性であった。
この人なら人生に満足しているに違いないと思いきや、「どれもこれも中途半端。子どもにも会社にも申し訳ない。仕事なら仕事、家庭なら家庭、とはっきり自分の方針を決めて生きている人がうらやましい」と彼女もまた、自分を責めて落ち込んでいるのだ。
「私の人生はうまくいっていない。本当はこんなふうに生きたかったのに」とだれかが思い、その“理想の人生”を歩んでいるはずの人もまた悩んで、別の人生を「ああ生きられたら幸せだろう」とうらやむ。
その堂々巡りだ。私は、できることなら、この三人を集めて「さあ、ここにあなたがうらやましい、と思っている人がいますよ。みなさん、自分の話をしてみてください」と語ってもらいたいと思った。
人生は二度、三度とやり直すことはできないので、どうしても「どう生きるか」をひとつに選択しなければならない。あるいは、選択の余地もなくいろいろな事情で「この生き方」と決まってしまうこともあるだろう。そうなると、自分ができなかったほうの生き方がとたんに輝いて見えてきて、「ああだったらよかったのに」
「私が本当に望んでいたのはあっちだった」などと考えるようになる。そして、いまの自分の生き方を失敗、敗北だと感じるとたとえいいこと、うれしいことがあっても目に入らなくなるので、ますます「私はみじめ」という思いが強まることになる。
この連鎖を断ち切るには、どうしたらよいのか。
ひとつは、だれかを「うらやましい」と思ったときに、「私が目にしているのはその人の一部だけ」と自分に言い聞かせることだろう。精神科医をしていてつくづく思うのは、他人や世間に見せているのは自分の生活や思いの一部だけで、だれもが自分なりの苦しみや悩みを抱えているということだ。雑誌のグラビアにあるような、その人のごく表面だけを見て「うらやましい」と思ったり、「それに比べて私は不幸せ」と落ち込んだりするのは、本当に意味がない。
そして、もうひとつ。
自分の人生や毎日の生活の中にも、まわりから見れば「いいわね」「楽しそう」と思われるものが何か必ずある、と気づくことだ。たとえば診察室で毎回、「私ほど不幸な人はいない。人生に楽しいことなどひとつもない」と言い続けていた女性がいたが、その人はいつも季節の花を小さくあしらった帽子をかぶって来院し、看護師たちは「あの人、本当にセンスがいいわね」「あんなふうに季節を感じられたら楽しいだろうな」などと話していた。そんな特技や感覚があるのに、自分でそれに目を向けられなくなっているのは、本当にもったいないことだ。
「自分のよいところを探して」と助言すると、「そんなものはないので、これから身につけなければ」と言う人もいる。しかし、それはまったく必要ない。新しく趣味や技術を身につけなくても、いまの生活の中に“自分ならでは”のよいところ、楽しみ、味わいはたくさん転がっているはずなのだ。
寒い日には、祖母が編んでくれた肩かけを羽織って布団に入る。
みかんの季節になると、皮をお風呂に浮かべて香を楽しむ。
駅への道で出会うすずめたちに「おはよう。元気?」と声をかける。
みんなだれからも強制されたわけでもない。自分ならではの工夫であり喜びである。
そして、本当に自分を支えてくれる自信は、だれから見ても「いいわねえ、うらやましい」と言われるようなお金、経歴、肩書きにではなくて、そういう自分ならではの日常の小さな喜びからしか生まれない。
これも、私が診察室での長年の経験を通して、実感したことである。
だれかと比べてうらやんだり落ち込んだりする前に、毎日の生活の中で、自分ならではのよいところを探して。ため息ばかりついている人に、私は心からそうすすめたい。