ホームページのリニューアルに伴い、 3代目女房のブログが新しくなりました。
こちらのブログは2022年までの「リフォームママのブログ」となっております。
こんにちは^^
福井県あわら市のリフォームママこと、西島由紀恵です。
今朝、犬の散歩中、お寺の横を通ったら、
掲示板に貼ってありました。
小学生のころ、呼ばれたら「はい」と返事をしなさいと
だれでもが習いましたよね。
でも、その返事をやりきってる人って、
意外と少ないように思います。
中村文昭氏も、よく「返事は0.2秒で」とおっしゃいます。
返事が遅いのは、その頼まれごとが自分にとって、
得か損かを考えるからだそうです。
返事を0.2秒で言い続けているとね、
“我”がとれてくるんだ、ともおっしゃってました。
たった二文字の「はい」だけど、奥が深いんですよ。
ところで、この返事のことで、ご紹介したい話があるんですよ。
少々長いので、興味のない方はスルーしちゃってくださいね。
萩本欽一氏の話です。
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~「はい」で幸運に恵まれた有名人、タレントの萩本欽一さん~
お父さんの仕事がうまくいかなくなり、欽ちゃんが小学生の頃から、
家はどんどん貧しくなっていきました。
中学・高校生のときは、借金で税金も払えない状態でした。
昼間は税務署職員が来るので、一家は、夜まで家に帰ることができず、
欽ちゃんは学校が終わっても、一人で町をぶらつきました。
そんな暗く辛い日々、夕食代をためて観たチャップリンの映画に心を明るく慰められます。
「よし、ぼくも辛い現実を忘れさせてくれるようなコメディアンになろう!」
「そして、お金持ちになってお母さんを楽にさせてあげよう!」
そんな夢をもつようになるのです。
高校を卒業して、なんとか浅草の東洋劇場に見習い修行として入れてもらえました。
ところが、欽ちゃんは、子どもの頃からすごいアガリ症で、不器用な人だったのです。
修行を始めて3カ月たったある日のことです。
欽ちゃんを東洋劇場に入れてくれた演出家の緑川先生に呼ばれました。
部屋にはいると、先生は、
「欽坊、長年、この仕事をしているとな、一週間、一カ月すると将来性のあるヤツはわかる。しかし、お前は3カ月たっても、コメディアンの雰囲気が出てこないんだ」
欽ちゃんは素直に「そう思います」と答えてしまいました。
「おまえは、まだ19になったばかりだ。別の道に進んだほうがいいぞ」
「はい」
先生の部屋を出て、これはクビの宣告だったのだと気づき落ち込みました。
しょんぼりして、池さんという先輩に相談すると、池さんは立ち上がって
出て行きました。
2、3分して戻ってくると、池さんは言いました。
「欽坊、やめなくていいぞ」
緑川先生のところへ行って、掛け合ってくれたのです。
そのとき、どんな談判があったかというと、池さんはこんなセリフで説得したそうです。
「確かにあいつは出来が良くない。しかし、あんなに気持ちのいい返事をする男はいない。
あいつの『はい!』ていう元気な返事に免じて、しばらく辛抱して置いてやってくれませんか」
欽ちゃんは聞きながら、ぽろぽろ涙がこぼれたそうです。
それから、欽ちゃんは、先生や先輩の期待に応えようと毎朝、人より早く劇場に
来て一人で練習をすることにしました。誰もいない舞台で、先輩たちがする
1時間の芝居を一人で演じる練習を毎朝続けたんです。
朝稽古をやって1カ月、思いがけないチャンスが訪れました。
主役の先輩が体調をくずして、突然、休演することになったのです。
困った演出家の先生が
「主役の代役だ。誰かセリフの入ってるヤツはいるか」
と呼びかけますが、
セリフを覚えていないのか、自信がないのか、誰も手を挙げません。
そのとき「はい!」と手を挙げたのが欽ちゃんでした。
この主役の代役は、緊張してセリフを忘れたり間違えたりで、ボロボロの演技で
したが、まわりの先輩のフォローでなんとか終えました。
結局、1回切りの主役代行でしたが、劇団のピンチを救ったことと日頃の朝稽古
が認められて、その後、欽ちゃんの給料は2倍になったということです。
芸人は、まわりの人から好かれ、応援されるということが、大事なのだそうです。
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あ、そうそう、掲示板に
「はいと言える親になることで、はいと言える子が育つ」
とありましたが、
特に、ご主人に呼ばれたとき「はい」と返事する母親になることが
大事だと習った記憶があります。
そういう家庭に育った子どもは、放っといても
まっすぐ育つみたいですね。
ちなみに、西島は夫に呼ばれたら、「はい」ではなく、
「なに?!」と言ってしまうけれど・・・・・^^;
気をつけます